コラム36〜40
世界はスキマだらけ
今日は、ちょっと変わった視点からのお話をします。
この世界(物質世界)は、ほとんどスキマだらけの世界だというお話です。
私たちが生きている“物質世界”を構成している基本単位は分子です。人間の肉体は勿論のこと、植物や鉱物も、地球から宇宙の果ての150億光年彼方の星々にいたるまで、全ては分子から出来ています。
一つの分子の大きさは平均して1cmの一千万分の1しかありません。その分子の中身は、中心に原子核があってその周りを電子が回るという構造になっています。
そして原子核と電子の間は、原子核の大きさの約5万倍離れています。
例えば原子核の大きさをソフトボール位だと仮定すると、電子はそこからなんと5km離れた所を仁丹位の大きさで回っているという感じです。そしてその間は茫漠とした真空の世界が広がっています。
※図にするとこうなります。
○――――――――― 原子核の直径の5万倍の距離 ―――――――――→・ ↑ ↑ 原子核 (この間は真空の世界) 電子
・・・どうでしょう。にわかには想像しがたい世界ですね。
でもこのような、中身がほとんど何も無い空洞の分子によって“物質世界”は成り立っているのです。分子というと、何かそれ自体が一つの粒のような存在をイメージされるかも知れませんが、実際は、まるで宇宙に浮かぶ惑星系のようにほとんど中身の無い“スキマだらけの存在”なのです。
では、何故私たちにはそういうふうに見えないのでしょうか?
その理由は、私たちの感覚が分子レベルからするととてつもなく大きいからです。
もしも、分子レベルの眼で物質世界が見えたら、この世界は、まるで宇宙空間の中に星々が点在しているような、ほとんど中身の無い茫洋とした世界に見えるということです。
・・・・・・・・・
・・・どうですか。
この世界を見る眼が少しは変わりましたか?東洋医学と西洋医学
東洋医学と西洋医学は本来一つです。
人間を全体から診る東洋医学と、人間を分析的に診る西洋医学は、例えれば“右脳”と“左脳”のようなものです。ですから各々単独で機能するよりも、両方が補い合って一つになってこそ、医療本来の役割を果たせます。
西洋医学の父と呼ばれているヒポクラテスは、すでに二千四百年前、心と体は一体であると考えていました。病気を治療する場合も、肉体だけを治療するのではなく、肉体に宿っている魂とともに治療するという、心と体を統合した医療を実践していました。
しかし西洋ではルネサンス以降、特にデカルトの二元論辺りから、心と体を分離して捉える方向に進んでいきました。近代合理主義の登場です。そのためにデカルト以降の近代西洋医学は、心と体を別存在と考える合理主義・分析主義的な医学の色彩を強め、その傾向は今日まで続いています。
合理主義・分析主義の特徴は、人間を細かく分けて、そして詳細に分析していきます。これによって、実に細かいところまで人間のことが分かるようになりました。
しかし反面、細かいところや部分に捉われるあまり、人間という全体が見えなくなってしまう弊害があるのも事実です。
近年になってようやく行き過ぎた合理主義・分析主義の反省から、人間を心と体の全体から捉える視点が取り入れられるようになって来ました。
しかしこれは考えてみれば、原点であるヒポクラテスの考え方に戻ってきたというだけの話です。
今お話していることは、東洋医学と西洋医学のどちらが良い悪いという話ではありません。どちらも長所も短所もあり一長一短があります。
唯、医学本来の目的である“患者を救う”という視点に立った時には、東洋医学でも西洋医学でもない、それらの枠を超える概念が出てくるのだと思います。
“病気は、人間が自らの力を持って自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである。”
ヒポクラテス
主体的に生きるということ
「私は行動的だから主体的に生きている。」・・・ということにはなりません。
何故なら多くの場合「行動させられている。」ことが多いからです。
「え!?行動させられている?」
そうです。自分が主体的に行動しているのではなくて、目に見えない“何か”によって行動させられているのです。
刷り込み・常識・世間体・思い込みなどによって「そうするべきだ。」「こうしなければいけない。」「そうするのが当たり前。」などというふうに固定観念や、条件付けられた動機によって“行動させられている”のです。
唯、知らず知らずそうしているので自覚が無いだけの話です。
人間が行動する時の動機には大きく分けて2種類あります。“不安や恐怖からの行動”と“主体的な思い”からの行動です。
★不安や恐怖からの行動
心理学的に言うと、生存の不安や死の恐怖から逃れるための行動です。この時人間は、目に見えない“不安”や“恐怖”によって行動させられています。
例えば、「私は食べるために働いている。」という人は、「食べられなくなる不安」から逃れるために行動している(働いている)ということになります。
「人から何か言われないように。」「社会から落ちこぼれないように。」「世間体が悪くないように。」「○○さんに嫌われないように。」・・・などというのはまさに“不安や恐怖からの行動”です。
これではいくら行動的であったとしても、主体的に生きているとは言えません。心はどこまで行っても、不安と恐怖の影を引きずったままです。
★主体的な思いからの行動
「自分がしたいから行動する。」という気持ちからの行動です。この場合は自分の心が主体的に望んでいる行動ですから、行動自体が“嬉しい・楽しい・面白い”ということになります。そして主体的な動機に基づいた行動の方が良い結果が現れます。
“好きこそものの上手なれ”という言葉も、そういう意味を表しています。
そして“主体的な思い”からの行動は、しっかりした自分の軸を持っているので、人から何を言われても、どう見られてもフラフラすることはありません。また、行動自体がしたいことであり“嬉しい・楽しい・面白い”のですから、結果はどうであれ、行動の過程そのものに意義を見出すことが出来ます。
あなたが自分らしく生きたいのであれば、先ず、刷り込み・常識・世間体・思い込みに囚われない“主体的な思い”を持つことが大切です。
不安や恐怖からの動機で行動しても、いつも周りを気にしたり、空回りしたり、ちょっとした変化や結果に怯えたり一喜一憂したりするだけで、本当の幸せも成功も・・・手に入れることは出来ません。
小さなことからで結構ですから、“主体的な思いからの行動”が一つでも二つでも増えていけば、あなたの人生はもっと楽しいものになっていきます。
「私は、本当は何をしたいのだろうか?」・・・ぜひそれを見つけてください。
それが、あなたが自分らしく主体的に生きるための第一歩です。
小さな勇気が人生を変える
子供の頃には、誰もが一度は人生の夢や目標を考えます。でも現実を知るにつれて「やっぱり無理だ。」と思い込んで、チャレンジする前にあきらめてしまいます。
夢や目標への思いよりも、失敗した時の不安や恐怖の方が大きいからです。
不安や恐怖よりも夢や目標への思いが強い人は、放っておいても、誰が引き止めても自分で歩き始めます。
今日は、一歩踏み出したくてもなかなか踏み出せない方へのアドバイスです。
100キロ先のゴールを意識したら、最初の一歩を踏み出すのが怖くなります。
先ずは、今その目ではっきり見える、10メートル先をみて歩き始めましょう。先ず一歩を踏み出すことが大切です。実際に踏み出してみて、初めて見えてくるものがあります。そこで感じることがあります。
10メートル先に着いた時、それが本当にやりたいことなのであれば、さらに前へ進む力が湧いてくるでしょう。
しかし、それより先へ進めないのであれば、きっと違うことをした方が良いのでしょう。
いずれにしても、何もしないで諦めるよりも、一歩踏み出す経験をした方がずっとあなたの人生を豊かにしてくれます。たとえ途中で止めたとしても・・・です。
一歩を踏み出す小さな勇気が、あなたの人生を変えてくれます。
モティベーション
成功するために最も大切なことは何だと思いますか?
才能? 努力? 不屈の闘志? 体力? 運?
・・・いいえ、モティベーション(やる気・動機付け)です。
「え、やる気??」
そうです。モティベーションがしっかりしていれば、才能(リソース)は引き出され易くなります。「努力するな。」「頑張るな。」と言われても、一生懸命頑張りますし、それが苦になりません。やりたい事をやっているのですから、ストレスも溜まらず、身体も疲れにくくなります。自分が主体的にやっているので、楽しい気持ちで行動出来ますから“運”も引き寄せることが出来ます。
さらに、成功するためにはエネルギーが必要ですが、モティベーションがしっかりしていれば心と脳と体のベクトルは自然に合って来るので、エネルギーが枯れることはありません。
だからモティベーションさえしっかりしていれば、失敗したり挫けそうになった時でも、そこからさらに前へ進むことが出来るのです。
“最後まで諦めない者だけが成功する”とか“継続は力なり”などとよく言われますが、その継続を支えてくれるのが≪モティベーション≫なのです。







